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史上最高額($4.3M[約3億3300万円])の写真!

Posted in New! by Administrator on the November 19th, 2011

去る11月8日にニューヨーク・クリスティーズで行われた「Post-War Contemporary Evening Sale」でドイツ現代写真家のアンドレアス・グルスキーの作品「Rhein II」が写真作品としては史上最高値の$4,338,500(約3億3300万円)で落札されました。

Andras Gursky: Rhein II

この記録の前の最高額は今年5月にシンディ・シャーマンの作品「Untitled #96」が付けた389万ドル(約3億円)でした。

Cindy Sharman: Untitled #96

実はシャーマンの同作品が最高値を塗り替える前はグルスキーの作品「99 Cent II Diptychon」が、2007年にロンドンのサザビーズで170万ポンド(334万ドル)で落札されて当時の記録作っていましたから、グルスキーの作品が高額で売買されるのは珍しいことではありません。

Andreas Gursky: 99 Cnet II Diptychon

(アート・フォト・サイトより抜粋参照)
アンドレアス・グルスキーは1955年ドイツのライプチヒ生まれ。父親は商業カメラマン。1978~1981年までエッセンの写真学校フォルクワンクシューレで学び、 1981年に前衛教育で有名なデュッセルドルフ美術アカデミーに入学します。彼の指導者はミニマルアートで知られるベッヒャー夫妻でした。ここでは 写真家であるとともに表現者としてのキャリア形成の重要性を教え込まれます。

1980年代後半には、広大な風景に人間が点在している焦点のない均一な作品を制作するようになります。 プールに点在するスイマー、山登りのハイカーなど、人間を風景の一部とした作品は初期の重要作として評価されています。

Andreas Gursky


Andreas Gursky


Andreas Gursky

グルスキーの事前に計算し尽くして撮影、制作された作品はベッヒャ-夫妻の影響をうかがわせます。1990年代以降、社会のグローバル化をモチーフとする表現を開始し、オフィスビル、巨大ホテル、ハイテク工場、港湾施設などを世界中で幅広く撮影するようになりました。

Andreas Gursky

Andreas Gursky


Andras Gursky


Andreas Gursky


Andreas Gursky


また、ポスト産業資本主義のグローバル経済が浸透した社会の代表的シーンを、多数の人が集まる、ロックコンサート、巨大ショッピング・モール、ディスカントショップ、証券取引所、サッカースタジアムに見出し作品を作り出します。

A

Andreas Gursky: Gocoon I


Andras Gursky: Cocoon II


Andras Gursky


Andreas Gursky: Kuwait Stock Exchange II

Andreas Gursky

個人が巨大消費社会の中の閉じられた空間で意味を与えられている状況を表現しています。現代社会のグローバル化経済に潜む覆い隠された本質を巨大で眩いカラー作品で表現することで一気に高い評価を受るようになります。 90年代を通してスティッチング技法、デジタル技術を駆使し試行錯誤を繰り返しながら超リアルで巨大な作品制作に挑戦しています。

Andras Gursky


Andras Gursky

2001年にはニューヨーク近代美術館で個展が開催されるとともに、 同年11月のクリスティーズ・ニューヨークのオークションでは「Montparnasse,1993」が予想落札価格のほぼ2倍の $600,000で落札され話題となります。さらに、先に述べたように2007年2月7日ササビース・ロンドンでの現代アートオークションで代表作の、 「99-Cent II, Diptych, 2001」 が170万ポンド(334万ドル)というオークションでの写真作品の最高落札価格で落札されました。

今回史上最高額の写真作品となった「Rhein II」は製作総数6のエディションで、そのうち、3つは公立美術館(ニューヨーク近代美術館、テート、ミュンヘンのピナコテーク・デア・モデルネ)、1つは私立美術館(ポトマックにあるグレンストーン)にあり、2つのみが個人コレクション用となっていて、この個人コレクションの1つがオークションにかけられました。

このニュースを聞いて「この作品は素晴らしい」、「グルスキーは凄い」といった称賛のコメントの一方、多くの人々が「この作品がこんな値段がするなんて信じられない」、「たかが写真がそこまでの価値があるのか」、「アート界は金持ちの浪費の場となっている」、等など、どちらかというと批判、否定的なコメントが目立ちました。

作品自体のアート性よりも、史上最高値ということが議論になっているように思えますが、アートの価値は常に見る者・所有する者の立場からなりなっているのが事実です。

ある意味、この作品の「殺風景な川の情景」にグルスキーが何を表そうとしたのか、何を見たのか、どうやってそれを表現したのかなどを見ていくと少し本作品の鑑賞のポイントになるかもしれません。

この作品のリサーチをしていくうちにYouTubeに掲載されている以下の動画を発見しました。

この動画の50秒頃から3分40秒頃までグルスキーとデュッセルドルフ芸術アカデミーで多大な影響を受けたベッヒャー夫妻のヒラ・ベッヒャー(以下、ベッヒャー夫人)が「Rhein II」の作品についてグルスキーと話をしています。
この動画はドイツ語ですので、動画の下に同部分の日本語訳を付記しましたのでもしよろしければお読み下さい。


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<ナレーション> ヒラ・ベッヒャーは、アンドレアス・グルスキーを彼のスタジオである写真倉庫に訪ねました。80年代前半に彼はデュッセルドルフ芸術アカデミーでヒラ・ベッヒャーの夫、ベルント・ベッヒャーに学びました。
[0’50”-1’37”]
<ベッヒャー夫人> 私はこの写真がとても好き。でも、夫のベルントはそれを好きではなかったので、私たちは彼と作品に関して戦いました。彼はこの写真があまりにも抽象的であり、故に感情に働きかけないと主張しました。私はもちろんこの写真が非常に抽象的だと思います。一つに観る人は明らかに現実にあった何かが消えているのに気が付きます。しかし、私は実際にライン川がどろどろしたヘドロやプリンのような地区を通るんですが、この作品の誇大抽象化がとても好きです。この写真は本当のライン川であるものを表現していると思います。
[1’37-2’24”]
<グルスキー> ヒラさんはこの写真からが何かが変更されているように感じると仰いましたよね。その感覚をより具体的に説明できますか?
<ベッヒャー夫人> 私はこの場所の辺りに何かが欠落しているように思います。何かを右に移しましたか?何か定規を使って描画したようになっていて、それは私には何もしていないなんて言うことは受け入れられないし、この部分は疑わしいほどスムーズになっていると思います。
<グルスキー> 事実としては、このイメージでは無駄を避けるための「掃除」をしています。ですから、以前の風景はこのようであったのでしょうが、今ここには石炭発電所が実際にはあるんです。
<ベッヒャー夫人> それだけですか?
[2’24″〜3’00”]
<グルスキー> いいえ、それだけではありません。
<ベッヒャー夫人> 例えば、この前方とこの辺りに?
<グルスキー> いいえ、前景の部分、道路や水へ入る辺りは完全に未処理です。
<ベッヒャー夫人> ええ?それは信じられないわ?
<グルスキー> 本当ですよ。私はこの場所に行き、写真を撮っただけなんです。これは私のジョギングのコースで、とてもよくこの場所を知っています。この写真を撮ると決め、最初のコンタクトシートを見たとき、私の最初の印象が全く上手く出ていませんでした。そしてその最初の印象を苦労して復元・表現・製作したのです。
[3’00”-3’40”]
<グルスキー> この作品の制作を始めた時、川に向かってスライドさせながらいつも東風が吹いていて、水面がとてもスムーズでした。しかし、私は水面が粗れているのが欲しかったんです。そのために反対方向から非常にこだわった風が必要だったんです。
<ベッヒャー夫人> まさにそれがあなたが何かをそっと混じりこませることが出来るからこんなに美しい写真を撮ることが出来るんでしょうね。でもそれを起こらせるのはとても忍耐が必要で、単に偶然に何かが起きるのを望んでできるものではないのですよね。

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このように、グルスキーはライン川というドイツ人にとってはとても身近な自然を自分がジョギングをしている場所でインスピレーションを得、それをこの作品に表現するために様々な試行錯誤を重ね、高度な写真処理技術を駆使してこの作品を作り上げています。

空、対岸の緑の土手、波打つ川、手前の緑の土手と灰色の道。動画でご覧いただけるように、本作品は巨大(73 x 143 in. (185.4 x 363.5 cm))です。

通常私たちの眼が風景をとらえる時にはそこに見える全てに焦点が合っているわけではありません。それに対しグルスキーの作品は通常、人間の目では見えない俯瞰撮影と画面全部に細部にまで焦点を合わせることによって生まれる非現実感を生み出させています。見る人は作品の前でしばし足を止め、作品を眺めることとなります。その時に体感する不思議な、平衡感覚を失うような感覚はグルスキーが創り出す、具象でありながら抽象性を秘めた作品ならではなのだと思います。

今回、写真作品の史上最高値を更新したこともさることながら、グルスキーはまだ存命中のアーティストです。

グルスキーはまだ56歳。これからどのような作品を世に送り出していくのか、私は楽しみにしています。

クリフォード・スティル(Clyfford Still)が史上最高値$61.7M(約47億9千万円)で落札!

Posted in New! by Administrator on the November 12th, 2011

米ニューヨークで9日、オークションハウスのサザビーズが開いたオークションで米抽象画家クリフォード・スティル(Clyfford Still)の作品「1949-A-NO. 1」が6170万ドル(約47億9000万円)で落札されました。

Clyfford Still: 1949-A-NO.1

これは当初の予想落札価格は2500万ドル(約19億4000万円)~3500万ドル(約27億1500万円)を大きく上回るものでした。また、本落札価格6170万ドルは、1980年に死去したスティルの作品では最高 額で、これまでの最高額だった2130万ドル(約16億5350万円)の、ほぼ3倍の値が付いたことになります。

「1949-A-No. 1」の落札直後にはスティルの「1947-Y-No.2」も予想の2000万ドル(約15億5000万円)を上回る3140万ドル(約24億4000万円)、

Clyfford Still: 1947-Y-NO.2


「PH-1033」も予想落札価格の1500万ドル(約11億6000万円)を上回る1968万ドル(約15億3000万円)で落札されました。

Clyfford Still: PH-1033


また、スティルの1940年製作、抽象表現主義絵画へと作風が変化していく頃の作品PH-351も1258万ドル(約9億7800万円)で落札され、今回の4スティル作品の合計で1億2536万ドル(約97億3800万円)となりました。

Clyfford Still: PH-351

この話を聞いて、私は今から20年ほど前に初めてクリフォード・スティルの作品を当時はまだサンフランシスコのシビックセンターにあったサンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)で見たことを思い出していました。

SFMOMA Clyfford Still

私が訪ねた日は雨の降るウィークデーの午後。SFMOMAにはあまり見学者もなく、大きな壁面を埋め尽くすように大きなスティルの絵は圧倒的な存在感と暗い色調の中に激しい色の対比として浮き出すかのような黄色や赤の色には衝撃的なものがありました。また展示室はスティル作品群のみで構成されていたので、他の展示室と比べると異次元空間のような感じを持ちました。当時はスティルという画家を知りませんでしたので、こんなアーティストがアメリカにはいるんだ、でもどうして名前を知らなかったのだろうか不思議に思うと同時に、ととても印象に残ったのを覚えています。

SFMOMA Clyfford Still

クリフォード・スティルは抽象表現主義の画家として有名ではありますが、同じく抽象表現主義のジャクソン・ポロックやマーク・ロスコと比べ、日本ではあまり知名度が高くないように思われます。

今回、本ブログを書くにあたってスティルのことを調べてみて、何故そのようなことになっているかが少し分かったような気がしました。(以下、Wikipediaより翻訳抜粋)

Clyfford Still

クリフォード・スティル(1904年11月30日 – 1980年6月23日)はアメリカの画家であり、抽象表現主義の主要な人物の一人。第二次世界大戦直後の絵画界に新たな強力なアプローチを開発した抽象表現主義の第一世代の指導者でした。

同時期の抽象表現主義のアーティストとしては、フィリップ・ガストン、フランツ・クライン、ウィリアム・デ・クーニング、ロバート・マザーウェル、バーネット・ニューマン、ジャクソン・ポロック、マーク・ロスコが含まれています。これらのアーティスト達のスタイルやアプローチにはかなり相違があるものの、抽象表現主義は抽象的な形態、表現力豊かなブラッシュストローク、そして記念碑的に大きな作品の規模によって、第二次世界大戦中および終了後にかなりの関連性を扱ったテーマである、創造、人生、戦い、死(”人間の条件”)といった普遍的なテーマを伝えるものとなっています。

抽象表現主義の中でも最も反伝統的なアーティストと言われるスティルはこのムーブメントの基礎を築いたと評価されています。スティルは1938年から1942年の間に、1940年代にはまだ象徴超現実主義絵画を描いていたその他の彼らの仲間たちよりも一歩早く具象画から抽象画への変化しました。

抽象表現主義はニューヨークのムーブメントとして認識されていますが、スティルの造形作品はワシントン州立大学(1935年〜1941年)を初めとする、スティルが西海岸の様々な教育のポストにあった時に作成されています。この時期の彼の作品は農場生活に特徴的な人々、建物、ツール、および機械などの特性を比喩的なスタイルとして表現する作品を多く製作しています。彼は1930年代後半には彼の表現スタイルをより簡略化するために具象画から抽象画へと移りました。

1941年にスティルはサンフランシスコのベイエリアに移転、現在はサンフランシスコ・アート・インスティチュートとして知られている美術学校、California School of Fine Artsで非常に影響力のある教授となりました。彼は1946年から1950年(ニューヨークに戻った1948年夏季休憩を含む)までその学校で教えました。スティルがそれまでのスタイルを”突破”し、独自のスタイルを完成させたのがこの時期でした。

スティルは1940年代後半に長期滞在するためニューヨークを訪問し、世界に新しいアメリカのアートを立ち上げた二つのギャラリー- ペギー・グッゲンハイムのThe Art of This Century Galleryとベティ・パーソンズギャラリー – と関わるようになりました。ロスコは、ロスコの個展を1946年初めに開いたThe Art of This Century Galleryのペギー・グッゲンハイムにスティルを紹介しました。その年の後半スティルはサンフランシスコに戻り、California School of Fine Artsでその後4年間教えました。

スティルは抽象表現主義がアート界で最重要なアートムーブメントとなり、スティル自信が美術界でますます重要になった1950年代の大半をニューヨークに住んでいました。しかし、1950年代初頭にスティルは商業ギャラリーと断絶し、1961年には芸術界から自分自身を切り離す形でメリーランド州に移住します。その後1980年に彼の死まで二番目の妻、パトリシアとメリーランド州に住みました。スティルの死の前年1979年にニューヨークのメトロポリタン美術館では、それまでのスティル作品の大々的調査を行うとともに、存命の芸術家としては最大のプレゼンテーションを開催しました。

しかし、彼の死後、20世紀の最も重要なアメリカの画家とされるスティルの作品で、既にコレクターや博物館などに収集されていなかったすべての作品は、スティルの遺言により公共と学術の両方のからアクセスを閉鎖、封印さることとなりました。

スティルはその遺言で永久コレクションとして彼の作品を展示するところを確立しようとするアメリカの都市にその全財産を寄付すると指定しました。2004年8月にコロラド州デンバー市がクリフォード・スティル遺産に含まれる作品を受け取るためにスティルの妻、パトリシアによって選ばれたと発表しました。

人々から羨望の的となっているこの2,400以上の作品は(825点のキャンバス絵画や1575点の紙上作品-ドローウィングと限定版ファインアートプリントを含む)、スティルの輝かしい経歴期間中と全製作作品の94%近くを占めるものです。同博物館はまた、スティルのスケッチブック、日記、ノート、スティルの蔵書、およびその他のアーカイブを収容することとなっています。これらのほとんどの作品は25年以上、公衆の目にさらされていません。非営利組織である美術館は2011年11月18日にオープンする予定です。

Clyfford Still Museum

そうです。ここまで読まれた方はお分かりになったかと思いますが、クリフォード・スティルの作品は彼の死後そのほとんどがアート市場に出ることはなく、研究さえもできないような状態であったのです。今回のクリスティーズでオークションにかけられた4作品もこのデンバーにオープンするClyfford Still Museumの運営資金にする為のものだとのことです。

スティルが1950年代に商業ギャラリーと断絶し、1960年代以降は美術界ともつながりを切ったことと、死後25年間もその巨大なコレクションが世に出なかったことで、スティルの作品はコレクターが欲しても手に入らないような状況だったのだと思います。SFMOMAで私が20年ほど前に見ることが出来ていたのはスティルがサンフランシスコの美術学校で教えていたことで関係があったものと判りました。

ぜひ今度機会を見つけてClyfford Still Museumに行ってスティルの作品の全貌を見てみたいと思っています。

*カラー・フィールド・ペインティングとは

「色面絵画」「色彩による場の絵画」と訳されます。抽象表現主義の中でも、大きく身体を動かし、激しい筆致で描いたアクション・ペインティングのポ ロックやクーニングらの線的な 表現とは異なり、見る者を包み込むような大きく拡がる色彩(色面)によって、精神性の高い抽 象画を描いたマーク・ロスコ、バーネット・ニューマン、クリフォード・スティル、モーリス・ルイスたちの作品をカラー・フィールド・ペインティングと呼び ました。

カラーフィールドペインティングは、大きく拡がる色彩を体感して、何が描かれているのかを言葉で探るのではなく、意味にこだわらずに「感覚」や「感性」で見る、色 彩や形を体験するアートです。