現代絵画巨匠ルシアン・フロイド死去のニュース(Lucian Freud, British Painter who redefined portraiture, is dead at 88)
今月20日にイギリスを代表する現代画家のルシアン・フロイドが88歳で亡くなりました。
ルシアン・フロイドは著名なオーストリアの心理学者で夢判断などの著書でも有名なフロイドの孫で、ドイツのベルリン生まれ。1933年にナチスドイツの迫害を恐れたフロイド一家がイギリスに移住し、1939年にイギリス市民権を取得しました。
ルシアン・フロイドの初期の作品はシューレアリズムを連想させ、人々や植物が風変わりな仕方で隣り合っていて、絵具の塗厚は比較的薄いものでした。しかし 1950年代からは肖像画、特に厚い塗りでヌードを描くようになり、その色調はグレーや褐色などの落ち着いた色遣いで表現することが多くなりました。
ルシアン・フロイドは現代肖像画家としてはもっとも有名であるといっても過言ではなく、2005年には彼の描いた有名なファッションモデルのケイト・モスのヌード肖像画が390万ポンド(約7億7千万)で落札されて話題になったり、2008年5月には存命中の画家としてはオークション落札額で最高価格の記録となる3360万ドル(当時の額で約35億3千万円)で女性のヌード肖像画が落札されたことでも有名になりました。
以下の絵が2008年に存命画家作品として最高値を付けた「Benefits Supervisor Sleeping」。
豊満というより肥満体の裸婦像。しかしそこに表現されるのは数千年もの間ほとんど変わることなく描き続かれた裸婦がソファーに横たわるというモチーフ。背景のグレーのドレープとこげ茶色の床により、あくまでも抑えられた室内の色調。画面のほぼ全部を占めるソファーはそのテキスタイルの肌触りまで感じてきそうです。そしてそこに横たわる巨大な裸婦の肌にはどこからともなく光がさし、この作品を観る人がこの作品を見てしまうとどのように表現してよいのかわからないような感覚に陥るのと同時に何とも強い印象にくぎ付けになってしまいます。
ルシアン・フロイドが描く肖像画はほとんどが裸体で、その独特な絵画表現はモデルの内面性をも表現するものでした。ルシアン・フロイドは作品にかける時間が大変長いことで有名で、1作品に1年以上かけることも稀ではなかったようです。また、コミッションで肖像画を描くことは少なく、そのほとんどのモデルは彼の身近な人物が多く、家族、友人、知人で、ただ床、椅子、ソファー、ベッドに座るか横たわる構図で、モデルを前に数時間描き続けてはそれを繰り返す創作活動でした。長時間をかけてそのモデルを見つめ、その人物の内面の内面まで見尽くすような様はある意味祖父であるフロイドの心理分析に似ているのかもしれません。
ルシアン・フロイドの作品は単に美しいというよりも人間の生と性、表面と内面が同時に表わされた力強さを観る者に与えるものだと思います。また、多くの作品には人物モデルと同時に動物が配されることが多く、人物と動物のコントラストもとてもユニークなものと思います。
ルシアン・フロイドの絵画は時代が移り、彼と同じ時代に生きた人々がいなくなっても、過去の偉大な画家たちがそうであったように私達の時代を象徴する画家として人々に強力な印象を与え続けていくことと思います。
アートとワインに魅せられた犯人 (A Theif who was taken in by art and wine)
今月5日にサンフランシスコのウェインステインギャラリーから、パブロ・ピカソの1965年ペンシルドローイング作品”Tête de Femme (女性の頭部)が白昼堂々と盗難にあいました。

販売価格20万ドル(約1千6百万円)は27x21cmと作品としては小さい方であった為か、犯人はギャラリーの店員にも見られず、作品を小脇に抱え店外に出た後、タクシーに乗って持ち去りました。

しかし、犯人の姿はギャラリーの隣にある店の防犯カメラに収められていて、きちんとした身なりをした30歳前後の白人男性であったことも分かりました。

しかし翌日、6日夜にカリフォルニア州ナパにあるアパートでマーク・ルゴ、30歳を被疑者として身柄を拘束し、すでに額から外されFedEx便で送付できるように準備された作品を押収しました。

マーク・ルゴ被疑者はニュージャージー州居住でサンフランシスコに独立記念日の休暇を利用して旅行に来ていたとの事。また彼はニューヨークの高級レストランでソムリエとして働いていました。
犯行の翌日に被疑者が捕まり、無事作品が回収され、事件が早急に解決出来たのは素晴らしいことですね。この成果は近所にあった防犯カメラにおさめられた犯人の姿とそれを乗せ走り去るタクシーが特定出来たこと、またそのタクシーが被疑者をサンフランシスコの高級ホテル、パロマ―ホテルに乗車させたことが判明したことによると言えるでしょう。
さて、この事件にはまだ続きがありました。
今回のサンフランシスコピカソ作品の盗難事件にあたり、マーク・ロゴ被疑者のニュージャージー州のアパートを捜索した警察はなんと1935年製作のパブロ・ピカソのエッチング作品”Sculpteur et Deux Têtes (彫像と2つの頭部)”やフェルナ・レジェのスケッチ等を含む11点の盗難にあったアート作品を発見、押収したのです。
これらの作品はマンハッタンのホテルやギャラリーから今年6月に盗まれたものであることも判明しました。
またマーク・ロゴ被疑者は今年4月に3本で時価6千ドルの2006年Chateau Petrus Pomerol (シャトー・ペトリュス・ポムロール)を盗んだことで起訴され、6月9日に裁判所に出廷することになっていましたが、これを欠席していました。

マーク・ロゴ被疑者は6月に入ってから約一カ月の間にサンフランシスコのギャラリーで行ったのと同じような大胆な方法でこれらのアート作品を盗取しています。警察が被疑者のアパートの捜索をした時にはこれらのアート作品が部屋に堂々と飾られていたそうです。
この話を聞いて、まるでドラマのストーリーのような気がするのは私だけではないでしょう。勿論ドラマであれば犯人は捕まらないのかもしれませんが。犯人とされる人物が高級レストランのソムリエで、旅行に来ているサンフランシスコで滞在していたのも高級ホテル。
警察によるとマーク・ロゴ被疑者は盗品を転売目的で盗んだのではなく自分で所有する目的だったとの見方をしており、また職業がソムリエであることから、ワインに対する造詣と羨望があったものとみています。しかしいくらアートとワインが好きでも、盗みまで働いてしまうのは尋常ではありません。今回マール・ロゴ被疑者が捕まったことで、これからまた事件の真相が解明されていくと思います。
アートとワインに魅せられてしまったマーク・ロゴ被疑者は素晴らしいアートに囲まれた部屋や高級ホテルではなく、しばらくはまったく環境の違う檻の中で過ごすことになりそうです。
本件について進展がありましたらまたお知らせしたいと思います。
今日は何の日 「フリーダ・カーロの命日 (Anniversary of Frida Kahlo’s Death)」
1954年7月13日に47歳という若さで亡くなったフリーダ・カーロ。今日は彼女の命日です。
1907年にメキシコで生まれたフリーダは6歳の時にポリオに罹患し右足が不自由になり、さらに17歳の時には乗っていたバスが路面電車と衝突事故を起こし瀕死の重傷を負いました。この為フリーダのこれ以降の生涯はこれらの後遺症との戦いと、入院中に独学で始めた絵画の創造、また恋愛遍歴とが複雑に絡まりあった創作活動となりました。
フリーダの才能をはじめに高く評価したのは後に夫となるディエゴ・リベラでした。彼女の生涯は何度か映画化されてもいますのでご存知の方も多いかと思いますが、ディエゴとの結婚生活は波乱に満ちたものでもありました。女性遍歴が有名であったディエゴはフリーダとの結婚後もそれまでと変わりのない女性関係を続け、また一方でフリーダも彫刻家のイサム・ノグチやメキシコに亡命していたレフ・トロツキーとの不倫を重ねるなど、やがて二人は1939年に離婚することとなります。しかし、1年後には復縁、再婚し、その後二人の結婚生活はフリーダの死まで続きました。
フリーダの絵画は自己の内部表現を鋭く追及し、ラテンアメリカの色彩豊かな表現と、象徴的な対象の表現など、超現実主義、シュルレアリスムの世界と重なります。
フリーダが表現する世界はある意味、あまりにも赤裸々な自分を表すことでした。ディエゴとの愛憎、怪我の苦しみ、流産。美しい絵画であると同時に、目をそむけたくなるような現実も表現されています。彼女の作品を見る私たちに、フリーダ・カーロという本当の自分を伝えようとした一人の女性の記録であるのだと思います。
そして今から57年前のこの日、フリーダ・カーロは次のような言葉を残してこの世を去りました。
「出口が喜びに満ちてるといい。私は戻りたくない。」
サンフランシスコMoMAに所蔵されるフリーダ・カーロの作品をディエゴ・リベラの作品とともに紹介したKFYAの動画がありますので、もしよろしければご覧ください。
タマラ・ド・レンピッカ Tamara de Lempickaの魅力
二つの大戦の間に花開き、その後のデザイン・美術・文化に大きな影響を与えることとなったアールデコ。その時期にヨーロッパやアメリカで絶大な人気と名声を誇った女性肖像画家、タマラ・ド・レンピッカ。
彼女の生きざまはそのスタイリッシュで官能的な絵画表現とそのまま重なっているように思います。
裕福なポーランドの良家で生まれたタマラは16歳で美男でポーランド人弁護士のタデウシュ・ウェンピツキと結婚。しかし、その後に起こるロシア革命に巻き込まれフランスに亡命します。働き手とはならない夫に代わり絵描きとして身を立てることにするタマラ。持って生まれた才能と成功への強い意志とで瞬く間に当時のパリ上流社会で成功をおさめます。
狂騒の20年代に彼女の代表的な作品を次々と描く一方、恋多き女性としてボヘミア的生活を謳歌します。1928年にはウェンピッキと離婚、1933年に長年のパトロンであったラルフ・クフナー男爵と再婚しますが、時代はヨーロッパを第二次世界大戦の場に移し、タマラはアメリカへとその生活の場所を移します。
第二次世界大戦は彼女に生活の場所を移させると同時にそれまでの耽美的な人々の嗜好をも変えて行き、彼女の作品もやがて過去の物へと人々から忘れらて行きました。
しかし、時代は再び変わり、タマラが亡くなる数年前には彼女の作品が再評価され、ファッション界、芸能界などの著名人がその作品をコレクションし始めました。
今回このブログで紹介するのは1970年代から1980年代にかけタマラの作品を収集したファッションデザイナーのウルフギャング・ジュープが行った2009年に行ったオークションと今年6月にロンドンサザビーズで落札された作品とを中心にいくつかの作品をご紹介したいと思います。
まず最初に、ウルフギャング・ジュープのコレクションでオークションにかけられた中で最も高値を付けたのは「マージョーリー・フェリーの肖像(Portrait de Marjorie Ferry)」。
落札価格はバイヤーズプレミアムを入れて489万8500ドルで落札予想価格の400万‐600万の中にとどまりはしましたが、レンピンカのオークション価格の最高額(それまでの最高額は2004年5月「ブッシュ夫人の肖像(Portrait de Mrs. Bush)」が付けた459万9500ドル)となりました。これはリーマンショック後の世界的金融危機の中での大いなる検討だったと思われます。
また、同額の落札予想価格であった「ド・レ・サル侯爵夫人の肖像(Portrait de La Duchesse De La Salle)は445万500ドルという結果でした。
Portrait de La Duchess De La Salle
この時のオークションでレンピッカの作品は「ポーム・ロショウ嬢の肖像(Portrait de Mademoiselle Poum Rachou)」と「カラーの花とアーレット・ブッカール(Arlette Boucard Aux Arums)」がそれぞれ予想落札価格を大きく超え299万4500ドル、148万2500ドルという結果でした。
Portrait de Mademoiselle Poum Rachou Arlette Boucard aux Arums
また、8月にもジョープ氏の所有作品「レ・テレフォン II (Le Telephone II)」が予想落札価格80万‐120万ドルを大きく超える198万6500ドルで落札されました。
一方サザビーズの双璧であるクリスティーズでも2009年6月にレンピンカ1932年の作品「マダムMの肖像(Portrait de Madame M.)」がオークションにかけられ、それまでのオークション最高額であった先の「マージョーリー・フェリーの肖像」を抜き、バイヤーズプレミアムを含む落札額613万500ドルを記録しました。
そして先月(2011年6月)サザビーズ・ロンドンで行われた印象派・近代美術オークション(先日のエゴン・シーレの作品と同時)で、1930年製作の「眠る女(Le Dormeuse)」が予想落札価格220‐320万ポンドに対し407万3250ポンド(米ドル換算で660万6812ドル)で落札され、レンピッカのオークション史上最高価格の落札となりました。
このように、この2年の間にオークションにかけられたレンピッカの作品はほぼその度にオークション史上最高値を更新しているのがお分かりいただけますよね。勿論、レンピッカの落札価格だけで申し上げるつもりはありませんが、先日も述べた通り、オークション・アート市場はやっと世界金融危機以前のレベルにほぼ戻った状態と言えるのではないでしょうか。
レンピッカの作品は個人的に大変好きで、ちょうど去年渋谷・東急本店横Bunkamura ザ・ミュージアムで開催されていた「美しき挑発『レンピッカ展 – 本能に生きた伝説の画家 -』」を見に行ってレンピッカの作品群に感動していましたので、このところの史上最高価格更新のニュースを聞いても、「やはりそうか」という感じでさほど驚きはしませんでした。
レンピッカの描き出した洗練された官能の美はこれからも確実に人々を魅了し、将来の取引価値も上昇していくことは間違いないだろうと思います。レンピッカは当然1920年代から1030年代にかけての作品が最も高く取引されていますが、比較的長い活動期間であったアーティストである為、作品はまだまだ市場に出回っています。ペンシル(鉛筆)やチャコール(木炭)の作品は現状でも1万ドル以下でのオークション取引価格となっていますので、これからコレクションを始めたい方にも向いているかもしれませんね。