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ルイーズ・ブルジョワを偲んで

Posted in New! by Administrator on the December 30th, 2010

さて、2010年も残すところあと一日となりました。今年最後のエントリーには私が個人的に大好きなアーティストで、2010年5月に98歳で亡くなられた彫刻家のルイーズ・ブルジョワをお話したいと思います。

ルイーズ・ブルジョワはフランスパリ出身のアメリカの彫刻家です。80歳を過ぎた1990年代にもその制作意欲は衰えることなく、次々と巨大な作品を発表し続けました。

日本では東京・六本木ヒルズに彼女の作品の一つ「MAMAN」(訳:「お母さん」)2002年製作が展示されていて、ご覧になった方も多いかと思います。

ルイーズ・ブルジョワはタペストリー修繕業を生業とする両親のもとに生まれますが、父の愛人が同居し、彼女の家庭教師として教育を受け育ちます。これは彼女のアーティストとしての表現に大きく影響を与えています。彼女はパリのソルボンヌ大学で数学を学んだ後、芸術家を目指しエコール・デ・ボザールなどで美術を学び、1938年に美術史家の夫とともにアメリカ・ニューヨークに移り、アーティストとしての活動を始めます。

彼女の作品のテーマには「不安」、「孤独」、「生命」、「力強さ」、「ジェンダー(性差)」などがあり、彼女がその生涯に感じたものをインスピレーションとし、ルイーズ・ブルジョアの独特な世界を展開させていきます。

サンフランシスコ近代美術館にもその作品は収蔵されていて、そのタイトルは「The Nest」(訳:「巣」)1994年製作です。この作品でも彼女の有名な蜘蛛が何重にも重なり、親が子を守るような造形となっています。

ルイーズ・ブルジョワは先にも述べたようにかなり屈折した家庭環境の中でその多感な少女時代を過ごし、暴君であった父親の下で抑圧されたものであったようです。芸術を始めたのも「家族が求める感情的なものから逃れる為」であり、「生き延びるにはそれ(アート)しか方法が無かった」と語っています。

また、彼女が好んで用いたモチーフである「蜘蛛」については、彼女は「蚊」が特に嫌いであったようで、その蚊を食べる「蜘蛛」がとてもきれい好きな生物であり、捕食する際にも相手より先回りを出来る思考能力や強靭な神経を持っている蜘蛛は、幼い時から見て育った父親の感情的言動に耐える母親の姿と重なって思えたとのことです。

このような背景をしてルイーズ・ブルジョワの作品を鑑賞すると、今までは巨大な蜘蛛の恐ろしく、グロテスクに見えていた作品が実は家族を思う気持ちや優しさが表現されていることを感じることが出来るのではないでしょうか。

例えば六本木ヒルズに展示される「MAMAN」は、よく見ると巨大な蜘蛛のおなかには大理石で作られた卵を宿しています。これは子孫繁栄の象徴であり、希望溢れる作品であるのがお分かりになるのではないでしょうか。

彼女がその生涯を通し、どこか不気味でありながらも美しく力強い作品を最晩年まで作り続け、これからもその作品に触れる人々に色々な思いを起こさせてくれる機会を作ってくれたことに感謝しています。皆さんももし機会があれば是非直接その作品を見てみてください。

それでは来る2011年も宜しくお願い致します。

Davis&Davis ”Do Not Touch Doubtbul Things” (不審物にはお手を触れないで下さい。)

Posted in Uncategorized by Administrator on the December 16th, 2010

7月に来日されたDavis&Davisから、初来日の際に撮った一連の作品を”Do Not Touch Doubtful Things” (不審物にはお手を触れないで下さい)として発表しました。

皆さんも初めて訪れた所で(特に外国)、「え~、これって何~?!?」みたいな経験を持っていらっしゃることではないでしょうか? ですから、不思議な感覚をその作品に反映するアーティストとして有名なDavis&Davisが日本の「変」なものを彼らの感覚で面白く作品としてシリーズを創り出しました。

日本に住んでいると何にも変に思わないことでも、外国から来た人達には「一体これって何?!」みたいなものがたくさんあります。このシリーズのタイトルになっている”Do Not Touch Doubtful Things”も、東京の地下鉄のポスターに書かれていることなのです。日本語では「不審物にはお手を触れないで下さい。」というものです。英語に訳をされたこの”Do Not Touch Doubtful Things”を見た時に、Davis&Davisは「???」と思い、とってもそれが面白かったのだと思います。

これをもとに、彼らは日本で出会う、”Do Not Touch Doubtful Things”を撮りだしたのです。この翻訳は「不審物」を”Doubtful Things”としていて、それがけっして間違っているわけではありません。ただ、英語では普通不審物という意味では「Unattended Item」のように「誰もいないのに残されている物」みたいな表現をします。ですから、Davis&DavisはDoubtfulが持つ意味の「妖しい」、「微妙」、「訝しい」と思われるものに次々にシャッターをおろしていき、その結果これらのシリーズが生まれました。

Davis&Davisならではのユニークな視点とはじめての日本で色々なものを興味深く見ている彼らの作品をご覧下さい!

http://www.davisanddavis.org/dntdt/index.html

また、KYFAにて作成しました動画もあわせてご覧下さい!

肖像写真

Posted in Art exhibit,New! by Administrator on the December 7th, 2010

私は肖像写真が好きです。それは写真家の眼が被写体の個性を一瞬の時に凝縮することが出来、被写体を知らない者にでも、その人物がどのような人物なのかを想像さしめるからだと思います。

既に終わってしまった展覧会ですが、東京六本木の東京ミッドタウンフジフィルムスクエアで「昭和の風貌」展-時代を作ったヒーローたち-という企画展が今年の9月にありました。

展示されていたのは土門拳、浜谷浩、林忠彦、田沼武能、熊切圭介、齋藤康一ら6人の写真家の作品。太平洋戦争前後の混乱から高度成長、バブル経済と大きく変転した「昭和」の様々な姿を、俳優やスポーツ選手・実業家・作家ら時代の精神を体現した人々を写した映像によってたどる企画でした。

ここで写しだされた人々はモノクロのなかでその止まった時の瞬間を生きています。

ここで私が特に印象に残ったものひとつが三島由紀夫の肖像です。昭和45年11月に齋藤康一が撮影した三島由紀夫は池袋東武百貨店の「三島由紀夫展」のポスターを背景に日本刀を抜き、眺めている様子。顔には笑みを浮かべている。この写真を撮ってから1週間ほどして三島由紀夫は自決する。

このコントラストは一体何なのでしょう。応接室で三島由紀夫展のポスターの肖像を前にリラックスして刀を抜き話をしているさりげない様子は静かです。多分三島はこの時点で既に彼の小説の巧みな構造と同じように自分の終期を計画していたのではないでしょうか。それ故このように落ち着き、自らの最後の肖像写真を撮ったのではないでしょうか。また、撮影した齋藤康一もそれを知らなかったゆえにこうもリラックスした三島由紀夫の肖像をおさめることが出来たのだと思いました。

また、この展覧会のポスターにもなっている、太宰治の有名な肖像写真は林忠彦が銀座のバー「ルパン」で昭和21年におさめたもの。実はこの時林忠彦は別の小説家、織田作之助を撮影中に店のコーナーカウンターで坂口安吾の隣に腰掛け酔っている太宰に「おい、俺も撮れよ。織田作ばっかり撮ってないで、俺も撮れよ」と言われ、ちょっとむっとしながら「あの男はいったい何者ですか」と尋ね、「君、知らないのかい。あれが今売り出し中の太宰治だよ」ということで、最後に残る1本のフラッシュバルブで、ルパンのトイレの引戸を開けて、ギリギリ奥まで下がって撮影したものだそうです。

このストリーと、酔い、リラックスしてバースツールに胡坐をかくようなポーズは昨今の若者が太宰に対して持つ「憂鬱」や「退廃的」という言葉とは違う、どこか傍若無人な風貌。ポケットには丸めて入れられたらしき新聞または雑誌や、戦後を物語るかのような軍人靴にも年季が入っているかのように見えます。

私はこの写真が撮られた銀座の「ルパン」を初めて訪ね、この写真を目にした時に言葉にしようのない不思議な感動を覚えたことを思い出します。60数年の時の隔たりはあるものの、かつて太宰が通ったところに自分もいるということを実感した瞬間でした。

このように写真には写された被写体の存在した瞬間をおさめる記録的なところと写真家の鋭い眼で被写体を表現し、見る者を感動させる力があると思います。ご紹介したほかにも多くの素晴らしい昭和の肖像写真がありました。

唐津への旅(日本の美と昭和ノスタルジー)

Posted in New! by Administrator on the December 3rd, 2010

佐賀県唐津は日本三大お茶碗(一楽二萩三唐津、または一井戸二萩三唐津)の一つとして有名な唐津焼で有名な所です。私は出身が佐賀ということもあり、10月に唐津に旅行をしましたのでその時の模様をご紹介したいと思います。

唐津は江戸時代の唐津藩の城下町を前進とし、唐津湾に注ぐ松浦川の河口を中心に市街地が広がっています。地理的に大陸と近いこともあり、日本でも最古級の水耕稲作遺跡である菜畑遺跡ある等、古くから大陸との交流があったところです。また戦国時代には豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、その本拠地として唐津、名護屋地区に名古屋城が築かれました。またその頃に大陸から作陶の技術が伝えられ、当時の茶の湯に代表される侘び、さびや唐津焼の持つ素朴さが相俟って茶道に使用される道具が作られるようになりました。唐津の焼き物は京都、大阪まで販路を広げ、当時焼き物をさす言葉として「からつもの」とよばれるほどであったそうです。桃山時代には茶の湯では一楽、二萩、三唐津として格付けされるほどに珍重されました。

唐津は佐賀市からJR九州、唐津線に乗り約40キロほどの道のりをゆっくりとしたテンポで一両編成の電車で移動します。途中12の駅がありますが、殆どは小さな無人駅。黄色く色づいた稲となだらかな山々が本当にのどかです。それぞれの駅前には「昭和」の時代を感じさせる古い小さな商店街があったりと本当にゆっくりと時間が過ぎているようなところです。

私達の主目的はやはり「唐津焼」。是非幾つかの窯元を周りたいと思って唐津駅の旅行案内所にて徒歩でも訪ねられる窯元を選びました。唐津駅から少し歩くと唐津市の商店街です。ここもやはり色濃く「昭和」を感じさせる佇まい。




さすがに焼き物で有名な街だけあり、商店街のいたるところに窯元直営の販売所や焼物屋があります。商店街を抜けるとすぐ近くに「唐津くんち」で有名な唐津神社が姿を現します。毎年11月はじめに行われる唐津くんちでは一閑張りとよばれる漆塗りの曳山が唐津の町を練り歩きます。江戸から明治にかけて製作された曳山はそれぞれの街を代表し14基が現存します。鯛や兜や獅子の形をしたこの曳山は日本を代表する美しい漆の芸術品です。私達が訪ねたときは唐津くんちの準備のため何基かの曳山を曳子さんたちが調整をされていました。近くで見る曳山は大きく、100年以上の年月を経ても漆が美しく輝いています。


唐津神社から虹ノ松原で有名な海岸のほうへ歩いていくと国指定重要文化財である旧高取邸があります。旧高取邸は炭鉱経営者・高取伊好の旧宅で唐津北城内の海岸沿いに建っています。邸内には個人住宅には大変珍しい能舞台を含め、素晴らしい近代和風建築を見ることが出来ます。二階の大座敷から海岸沿いの松林と玄界灘を眺めているとふとタイムスリップしたかのような感覚を覚えました。大変大きなお屋敷なので、じっくりと見ているとあっという間二時間が過ぎてしまい、もうお昼の時間になっていました。

唐津で有名な食べ物といえば「イカ」。この日のお昼は唐津駅の観光案内所でお奨めいただいた唐津城と虹ノ松原の眺望が楽しめる旅館でいただくイカ尽くし料理です。イカのお刺身はさばきたてで色は透明。足の部分の色素はまだ生きている為か浮いたりきえたりしています。歯ざわりはこりこりと子気味よく、優しい甘さが広がります。またお刺身で残った部分は塩焼きにしていただき、これはまた本当に美味しいものでした。



イカで満腹になった後は、いよいよ今回の唐津旅行の主目的、唐津焼窯元訪問です。

唐津駅周辺の窯元は唐津神社などがある側からは松浦川を隔てた側にあります。そこまでいくには唐津の町を横断するような形になり、そこには懐かしい面影を残した唐津の古い町並みが続いています。その中でも旧唐津銀行本店は唐津出身で東京駅や日本銀行本店の設計者として有名な辰野金吾が監修、弟子の田中実が設計。赤煉瓦と白御影石のコントラストを持つ洋風建築です。

松浦川にかかる町田橋を渡り、中里太郎衛門陶房をお邪魔しました。ここへ続く道は唐津焼の陶板で舗装されとても情緒があります。風情のある建物と展示室にはフランス人老夫婦がゆっくりと作品を見ておられました。聞くところによるとお二人とも日本は初めてで、陶芸が好きでいつか唐津の窯元を訪ねたいと考えていて、それがやっと叶ってこちらを訪問されているとのこと。


陶房から少し歩いたところに唐津藩の御用窯であった中里家が約250年前に築いた登り窯、「御茶碗釜」があります。この窯で幾多の名器がくつられたと思うと感慨深かったです。


私が唐津焼が好きなところはやはりとても自然で素朴あることだと思います。砂目とよばれるざっくりとした土と落ち着いた渋い色。唐津では中里太郎衛門陶房以外にも窯元を巡り、また様々なところに展示されている古唐津の作品を多く見ることが出来ました。そこで思ったのは唐津焼はとてもモダンであるということ。唐津焼は勿論詫び・寂の美しさであるとともに、現代アートに通じるシンプルな力強さが大きな魅力であると思うのです。釉薬が釜の中で創り出す景色はある程度は作為的に出来ても、完全にコントロールできるものではなくあくまでも偶然のなせるところ。勿論長年の修行を重ねられた作家のかたがその経験と技術を持ち、窯のどの場所にその作品を配置することにより、このようなものを創り出したいとお考えになるから出来るものですが、実際に完成した作品はどこか宇宙を思わせるような深い、深いもののような気がします。